みあです。
今年は、沖縄返還から50年の年ですね。節目・・というのでしょうか。アメリカ世から変わったとしても、いまもって「本土」の人との間に横たわる大きな壁ともいえるほど、経済的に、あるいは近隣諸国との関係についての感覚、いろいろな面で隔たりが残る沖縄です。節目と言えるのかどうかもわかりません。
姻戚が沖縄におりまして、沖縄に行くことがあります。これまで観光らしい観光はしたことがなかったのですが、数年前に王朝文化の特別展示をしていた沖縄県立博物館に行きました。
琉球王朝時代には政治と宗教の大きく2本柱で統治していたことは、本を読んだりしてかじった程度の知識はありましたが、大戦で失われたものも多いなか貴重な王室の衣装の展示や宝物の展示を見て歩き、かつての琉球に思いをはせる時間になりました。
薄く、見るからに涼しげな芭蕉布・・独特の色使いの布・・。それを紡ぎだすのにどれだけの労力が必要か。書きつけ。南の島の王朝文化と、統治の一翼を担う宗教観。人々の生活。
旅をすることが多いので、それぞれの地域で全く異なる文化に出会い、驚嘆することも少なくありません。が、沖縄はこれまでの旅を振り返っても別格の体験が多かったように思います。南の群島の歴史に裏打ちされた異国情緒とでもいうべき空気感。これまで沖縄県内での観光はほとんどしていませんので、地元の人たちとの交わりのなかでの感想です。
「知らない」というのは、悪いことではありません。誰しも、いくつになっても、世の中には知らないことのほうが多いのですから。
が、「知ろうとしない」というのは、相手を「尊重しないこと」につながる可能性がある、のではないかと思っています。
琉球として長い歴史があり、琉球の中でもそれぞれの島の力関係は複雑で、かつての薩摩を含む近隣諸国との独特の関係性や交流があり、現在の沖縄県にもいくつもの顔があり、いろんな立場の人がいて、いろんな姿があります。それは、誰もが自分に当てはめてみても他者との関係性においては同じことでしょう。まずは県外に住み、その歴史を身に刻んでいるわけではない自分は「知らないんだ」ということを前提に、知ろうとすることが必要だと思っています。
悲壮な顔をしながら、辛い記憶や解決が非常に困難な課題ばかりを追いかける・・ことをする必要はない。けれど、これからも広くいろんな側面を知ろうとしていきたい。とてもユニークで豊かな文化的背景を持っていて、複雑な歴史を持った地域、それが沖縄なのですから。
博物館で過ごした時間は、南国沖縄の、リゾート、美しく、陽気で、美味しい、などの観光イメージで表面的に楽しむだけはなく、長い歴史をほんの少しずつでも知りたいな、と思う時間でした。
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