何度も読む

時代小説とお針

みあです。

高田郁さんの「あきない世傳 金と銀」、前回の記事では、全巻手に入れたのにまだ読んでない~、じっくり読みたいからしっかり時間をとって読むことにするー!と書きましたが。

読み終えて、半年寝かせて、また読み直しています(´▽`*)

初めて図書館で借りた際、寝る間も惜しんで読んで、返したあとにまた借りて読み直して、やっぱり面白くて全巻一気に手に入れて。手元に置いたら、寝かせてまた読み直しているのです。

執筆のきっかけは

高田郁さんが、このシリーズの執筆についてお話されている記事を読む機会がありました。江戸時代中期、名古屋の「いとう呉服店」第10代店主だった宇多さんが、その執筆のきっかけになったとのこと。なんと、江戸時代中期に、数奇な運命に翻弄されながらも自ら立った女性経営者が実在したのです。

この「いとう呉服店」は、今の松阪屋創業家。松坂屋名古屋店のSHOP BLOGには、松坂屋史料室のページがあって、宇多さんのことも紹介されていました。この史料室のページ、興味深い記事がいろいろありました。

女子衆さん

私の祖母の生家は、伸子や張り板など着物の洗い張り用の道具類の問屋をしていたと聞いています。今思うと残念なことですが、祖母の口から直接当時のことを詳しく聞くことはありませんでした。家はいつも忙しく、身の回りの世話は「姉や」と呼んでいた女子衆さんがしてくれていたそうで、両親にあまり構ってもらえることがなかったようです。こういった話は、後に母から聞いたことです。

第2次大戦前の比較的穏やかな時代には、私の曾祖父に連れられて、大阪での仕入れに同行することがあったようですね。この話は、唯一、祖母から直接聞きました。

「あきない世傳 金と銀」には、主人公の幸が女子衆として奉公に出されるところから始まる設定ということもあってか、女子衆さんの視点で描かれる部分もよく出てきます。その中で、ご寮さんとなった幸が、女子衆のお竹どんに、江戸へ一緒に来てほしい、と話すシーンで、お竹どんがこんなふうに返答する部分が描かれていました。

祝言の時の旦那さんの着物と羽織を黒羽二重で縫ったけれど、50半ばを過ぎると段々目が利かんようになってきた。黒地を縫うのは難しくなった。ご迷惑をかけんうちにそろそろ・・と思っていたところ、活躍の場を与えてもらった。生涯鍋の底を磨いて生きるしかない女子衆が、商いに関わる喜びを、生きる張り合いをもらった。

今とは違い、多少の例外はあっても、ほぼ身分が固定されていた時代に女子衆として生きるとは、「生涯鍋の底を磨いて生きるしかない」、そういうことだったのでしょうね。

幼い頃から女子衆奉公に来ていた場合、年頃になったら、雇用主が相手を見つけて嫁に出してやることもあったのでしょうけれど、そこまで面倒を見てもらえるのは、幸運なほうだったのかもしれません。

江戸の昔の話ではなく、祖母が幼い頃に毎日世話をしてもらっていた姉やでさえ、彼女がどのような経緯で祖母の家に来て、戦中戦後の時期にどう生きることになったのか、今となっては家族の誰も知らないのです。

祖母からは、お正月など行事の様子、女学校時代の話、戦中の話、結婚直後の話はよく聞いていましたが、幼かった頃の日常の話を、もっと聞いておけばよかったな、と思います。

老眼

ところで、お竹どんが話していた「黒を縫うのは目が利かなくなると難しくなる」、という話は、和裁を手ほどきしてくださっているお師匠も仰っていました。

まぁ、だんだんと近くが見にくくなるお年頃になると、黒を縫うのがどれほど難しいか、和裁を知らなくてもある程度想像はつくというもの(´・ω・)

それにしても、「老眼鏡」がある今の時代は、恵まれているなぁ。そもそも眼鏡というものがあるのだから、視力に多少の問題があっても矯正できる。かなりの近眼でも眼鏡は作れるし、数十年前と比べて格段に軽い眼鏡になっているし、老眼になっても眼鏡を作り替えればどうにか近くも見ることができるから、読書も可能。

それでも、アクセサリー作りや裁縫は、目が遠くなってくるとやっぱり難しくなってくるのかしら?(´Д`)

お師匠は、私の母と同い年ですが、目は全く問題ないそうです。30代から老眼を自覚する人とは、いったい何が違うのでしょうか・・ね?

読み直し、只今6巻目

この回で、幸はいよいよ江戸へ出ます。描かれる大坂と江戸の習慣の違い、考え方の違い、気質の違い・・今にも通じるような部分もあって、とても面白い。ここから、ハラハラ、イライラ、ワクワクが混ざり合うような、ジェットコースターの気分を味わうことになります。読み終えたら、しばらく寝かせておいて、特別巻2巻も含めて、またはじめから読み直すのです(´▽`*)

本は紙で手元に置きたい、ごきげん子猫