着物は「正しく」着る??

ルール

みあです。

着物でお出かけ♡ウキウキしますね。

お気に入りの着物に、帯揚げ、帯締め、帯留め、帽子を合わせたり。草履を選んだり、時にはブーツにしたり。サンダルを履くことも。バッグはクラッチ?籠?布?アクセサリーにイヤリング。今日は何を着ようかしら?

私が着物を着ていて、「素敵ねぇ」と話しかけられたり、「着付けはご自身でされるの?」と訊かれたりして、ちょっと立ち話になったりする嬉しいことが多くあります。普段着物のままで犬の散歩に行くと、犬友達の飼い主さんやご近所だけど話したことがない方にも一声かけられたりします。

でも、なんだか悲しくなったことがありました。

電車に乗っていて、アンティーク着物にピアスをしている若い女性が乗り合わせたことがありました。とても素敵な柄行のその着物に、揺れるピアス、洋服用のバッグを持って、とても楽しそうな雰囲気でした。着物でお出かけ、嬉しいんだな、とこちらもニッコリしてしまうくらい。

そのとたん、私の隣に座っていらした年配の女性が、聞こえよがしに「ああいうの、どう思う?着物にイヤリングなんてして。私はああいうの嫌いなのよ。」と。

私は、彼女の意見に否定も肯定もしませんでした。どう思う?と訊かれたので、「着物がお好きなんでしょうね。」と答えました。すると、彼女は物足りなさそうな顔で、もう一度「私はああいうの嫌いなの。着物には着物の良さがあるのに。」とおっしゃるのです。

「そうなんですね。最近は、いろんな着方をされる方がいらっしゃいますね。洋風のものをあわせる着方も流行ってきているみたいですし、とても上手にあわせていらっしゃる方も多いなと思って見ています。」とだけ答えました。その後は、着物の話題がしばらく続きましたが、なんだか悲しくなりました。

ちなみに、その隣に座られた方は、着物をお召しではありませんでした。

確かに、着物を着物らしく・・というのでしょうか、「正しく」着ている姿が好き、という方もいらっしゃるでしょう。でも、「正しく」って何?誰にとって、何に対して正しいのでしょうか?

着物だって、万人が起きたときから寝るときまで「着るもの」のひとつでしょう?洋服と同じ。それぞれの好みがあって、それぞれに快適な着心地がある。昔はなかったクリスマスシーズンの街の雰囲気を、着るものに反映したっていいでしょう?11月末頃や12月に入ってクリスマスツリーの帯留めをしていたら、私はおしゃれだな、と思います。それがトナカイのイヤリングになると「着物の良さが壊れる」のでしょうか?

・・なぜ(。´・ω・)?

好き嫌いは当然ありますので、「私はああいうの嫌いなの」は、別にあってもいいのです。でも、それを他人の着ているものに意見して強制するものでしょうか?イヤリングが着物に引っかかって生地を傷めてしまうほど長い、となるとこれはあまり良くないかもしれませんが。それだって、自分の着物なのです。別にフォーマルでもなく、「社会的に」猥褻すぎて警察に職務質問されそうな恰好をしているわけでもなく、まして偶然電車で乗り合わせただけの若い方が「普段着」として楽しんでいるコーディネートを、「クサす」必要があるの?私の好みではないけれど、最近はこういう合わせ方もするのね、でいいじゃない、どうしてむしろ足を引っ張るようなことをするのかしら?人生の先輩としての余裕や懐の深さは?・・と、悲しくなったのです。

Tシャツにジーンズで、着物生地のリメイクかばんを持っている方がいたとして、そんなのはおかしいわよ、なんて突然言うでしょうか。「ご自分で作られたの?素敵ね」っておっしゃったりするんじゃないかしら?スカートに下駄風のサンダルを履いていたとして、洋服らしく靴を履きなさい、なんて意見するでしょうか。「変わっているわね、サンダルにもこんな形のものがあるのね。」と声をかけたら、きっと楽しいのに。

「着物警察」などと揶揄されることもあるようですが、せっかく着物でお出かけしたのに、「あなた、今は袷の季節なのだから、単衣なんておかしいわよ。」と言われたとか「帯が曲がっているわよ、直してあげる。」と突然帯に手を突っ込まれたりすることなどがある・・とか。

帯や着物を触るときに、その手が皮脂で汚れていたりした場合、淡い色の絹物など、モノによってはシミが残ってしまうことすらある。着物を着る際に、子どもの頃から、首と手、手首はしっかりと洗ってから着なさい、と教えられたことがある方も多いと思いますが、そんなことを考えると、外出中に目の前の方の着物や帯に突然無断で手を触れるなんて私にはとてもじゃないけれどできない・・。

前を歩いている人のマフラーが外れかけていて危ないと感じたら、「外れかけていますよ。」とそっと教えてあげればいいじゃない?と思うのです。「助けていただけますか?」などと言われたら手を貸してあげたい。でも、もし私がそんな場面に遭遇しても、突然他人のマフラーに手をかけてやりなおしてあげるわよ、とはならない。

きっと、基本的には「教えてあげなくちゃ」という親切心なのでしょう。でも・・。

電車に乗り合わせた洋服の人を見て、あの人のアクセサリーが嫌いだ、あんな服の着方はおかしい、あなたはどう思う?などと、隣に座っている人に訊いたりするでしょうか。

こんなに失礼でおかしいことはない。と思うのです。

これまで袷の時期と言われていた時期でも、このところの気候では、10月でも30℃を超え、とてもじゃないけれど袷など着られないほど暑い・・ということが往々にしてあります。なんなら夏物でもいいくらい暑いけれど、いくらなんでも10月に夏物は・・と、「我慢して」単衣という場合もあります。あまりに暑い10月に、素足にサンダルはいくらなんでも‥でもとてもじゃないけれどお腹まであるストッキングも嫌・・というときに、パンツスタイルにして短いストッキングとつま先が開いたパンプスにしようかしら、となるのと同じだと思います。

まぁ、このように何か言いたくなる・・というのは、おばあちゃんが孫の着ている破れジーンズやらミニスカートやらに眉を顰めるのと似たような部分はあるかもしれませんが。

社会生活を営んでいるうえでは、相応のTPOをわきまえてさえいれば、その人が快適に過ごせることが一番である、というのが着るものの存在理由では?式典やお茶席など、主役との関係性や周囲、お道具への配慮などが必要な場面を除いて、普段のちょっとしたお出かけやおしゃれ着に、四角四面の季節感やフォーマル並みのルール(モノによっては、そのルールの発端さえよくわからないものもある)を振りかざすのはむしろ暴論だとすら思います。

「帯付き」はダメ、羽織りの長さがおかしい、単衣の時期ではない、下駄に足袋を履いてはイケナイ・・・いろんなことをおっしゃる方がいます。

「着物には着物の良さがある。」その通りだと思います。

でも、時代背景が違う、着る場面が違う、流行が違う、気象条件が変わる、着物業界の方針、個人の好み・・いろんな要素でその時によって着物姿は変わってきたと思うのです。そして、着るものなのだから、それが当然でしょう。

おかしいとかイケナイとか口に出す前に、「まだ秋口なのに寒いからセーターを着たけれど、若い人は半袖でも平気なのねえ。元気ね。」で、すむ話ではないのか?などと考える余裕を持っていたいなと思うのです。

長い歴史のあるこの国に生を受けたので、衣替えの背景に、日本ならではの季節感や社会的配慮、武家社会からの影響を受けた文化的背景があることなどは、知識として持っていたいな、と思います。

それでも、昨今の残暑厳しい9月に、友達に会って軽くお茶するだけなのに「半袖シャツは、今の時期に着るべきものではないわよ」などと往来で全く知らない人に言われるなんてあるかしら?ということなのです。そんなこと言われたら、私ならびっくりします。

着物だって同じ。

現代では、普段に着物を着る方は少数派です。「親切心」の裏側には、「私は知っているけど、あなたは知らないのね。」という気持ちがあるように感じます。

でも、そのうちのどれだけの方が普段から着物をお召しになるのでしょうか?本当に、昨今の秋の危険な残暑の時に、この時期に着るものではないからその恰好はおかしいなんて意見することが「正しい」のでしょうか?熱中症の危険を冒してまで着るものが民族衣装ではないでしょう。むしろ、その地域の条件にあった快適な衣類が民族衣装となるのですから、条件が変わったりすれば形が変わっていくのが当然です。

そもそも今の着物の形は、平安時代の上流階級から見るとそれこそ「正式」ではなくカジュアルな「単」からの小袖が源流と言われている・・700~800年後に今のTシャツやタンクトップにショートパンツをはいているようなものが正しいなどと言われるようなものかしら、なんて考えたら、「正しい」って何でしょう??

電車に乗り合わせた人が、普段から着物を楽しんでいる。私は嬉しいな、と思います。私も着物が好きなんです、と話しが盛り上がるとなお楽しい。その帯留めはもしかして手作りですか?などと訊かれたら、私なら気づいてもらえたことに喜ぶでしょう。寒い日の着物に袖がふんわりした洋服用のコートとふわふわのアームウォーマーをつけている方がいたら、暖かそうだなと思うでしょう。

長襦袢を着ないでうそつきを着るのも気軽に洗濯できて快適にしたいから、でしょう。お仕事着やお稽古事にしわになりにくくて洗濯機で洗えるポリエステルの着物を着る人もいるでしょう。

ブラウスを着て着物を着る人もいる、着物の上に大きな洋服用の付け襟をつけて半襟とともにおしゃれする人もいる、帯じゃなくて太めのベルトをする人もいる。でも、それが、映画を見に行ったり、お友達とお茶したり、という範囲なら、訪問着を裁断してワンピースに作り替えたものを着ている貴女とどう違うのでしょうか?

私も着物について、祖母や母から教わり、茶道でかかわった先生方や、着物を普段も着るようになってからは悉皆屋さん、最近では和裁の先生にも教わってきました。とても恵まれた環境だったと思います。子どもの頃、学校を出たての若い頃などは、「可愛いらしいわね」と褒められて、とても嬉しかったものです。

もし、貴女が責任感から若い方にルールを教えてあげる必要があると感じるなら、私がかつて受けてきたように、是非貴女の周りの方にアドバイスしていただけると嬉しいなと思います。そして、何より貴女ご自身が着物を着て、次世代に見せてあげていただきたい。上の世代のきりりとした着物姿、余裕のあるゆったりした着物姿、それが素敵だなと思ったら、きっと着物を着る次世代が増える。普段着物とは別のセミフォーマルやフォーマルの着物も、必要に応じて着ることができるようになる。

私の周りでは、母の世代も着物をご自身で着られない‥と言う方が多数派です。世代的にその上の世代は着物で日常を過ごしていた方も多いですから、ご両親の着物姿をよくご覧になっていたり、基本的な着物の知識を持っていらっしゃる方は、若い世代よりも多いです。でも、着付けを習いに行ったり花嫁修業でお花やお茶を習っていたけれど、着る機会がなくて自信がないのとおっしゃる方も多いのです。でもそのほとんどが、異口同音に「嫁入りで持ってきたたくさんの着物を着たい」とおっしゃる。

もしかして、普段から着物を着て自由に楽しんでいる若い方にちょっぴり焼き餅を焼いているのかしら?と思うこともあったりして。

そんなちょっぴり複雑な女心の行きつく先が、着物を楽しんでいる若い方へのちくちく・・なのだとしたら、そんなのは何よりご自身のイライラの元ですから、もっとポジティブに自分を解放して着物を楽しみましょうよ。

「正しいかどうか」なんて考えるより、まずは普段から着てみるのが楽しい(*´▽`*)

フォーマルなら、気をつけるべき配慮がありますが、普段着に正しいも誤りもないでしょう。木綿やウール、麻、絹物でも紬などを、普段からしょっちゅう着てみたら、他の方が着ているものに文句をつけたくなることはないのではないかしら?お茶会や発表会やご挨拶などに、柔らかものをきっちりお召しになる前に、普段ちょこちょこと楽しむことで、自信もついて肩の力が抜けるようになるのではないかしら?

そんなふうに思います。

1週間みっちり仕事で休みの日に着物を着る時間も心の余裕もない・・という方も多いかもしれませんが、ほんの一枚だけ用意して、すぐに手の届くところに小物も一式置いてみて、何度か着てみると、とても気が楽になります。私は普段着るものを柔らかものとは別の箪笥にわけてしまったら、着物を着るまでのハードルが劇的に下がりました。アンティーク着物ブームもあって、着物用にこれまでなかった全く新しいおしゃれな小物も増えていて、最近ますます楽しい着物ライフです。

日本の文化は、慎み深さ、配慮、季節感、そういうものが反映されて形作られてきたのだと思いますが、そこには、常識やルールを少し離れた「遊び」の部分があってそれを「粋」と言ったりしたのではなかったでしょうか。それは、何かに理不尽におさえつけられたりすることや、窮屈すぎるルールだったり、といったことに対する「枠を逸脱した小気味良さ」もあったりしたのではないかしら?とも思うのです。そして、それがまた時間を経て社会的に認められたひとつの形になることだってあったでしょう。

海に囲まれたこの国は、異文化が入ってくることが地続きの国同士ほどはなかったでしょうが、それでも、入ってきた異文化を上手に取り入れて、孤立した島の中で独自に発展させることがとても上手な性質も持っています。

「完成形」ではなく、「変わっていくこと」に対する美意識を持っていることも、この国の文化の特徴です。満月ではなく欠けた月に様々な呼び名があること、満開の桜とともに膨らみかけた蕾や散りゆく様も愛でる心。

そんな「変わっていく」ことを、着物で楽しんでもいいじゃない?(^^)

「着物、素敵ね」と言われるととっても嬉しいごきげん子猫

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