みあです。和裁はじめました。👘
母が「モーレツ営業職」の仕事を引退してから、新たなコミュニティでの交流のなかで、和裁士の方にお目にかかる機会がありました。
今、その方が私と母のお師匠さんです。
そもそも洋裁を念頭にお裁縫が苦手で大嫌いなのに、なぜか不思議と和裁は身に着けたいな・・と、何年も前から思っていて、教わりながら自分が着物だか襦袢だか足袋だかチクチクしているイメージだけは容易にできたのです。(母のようにセーターを編んだり、ミシンで洋服を縫ったりするイメージはさっぱりできないのに。)
母がその和裁士さんにお目にかかってから、着物の寸法直しを直接依頼するようになりました。出来上がりを届けていただいたりした際に、一緒にお茶をいただきながら「自分でできるといいなぁと思うんです・・」とポロっと話すと、
「教えてあげるよ」と。
なんと。
世の中不思議なことは結構あるもんだ、と思う方だけど。
私の生活のなかでは、仕事でもプライベートでも和裁士さんとつながることは、非常に確率の低いことだろうと思います。でも、普段着物を着て気軽に出歩くようになり、「カオスな箪笥」も解決に向かいつつあるなかで、ずーっと自分で自分の着物の手入れができるようになりたいなと思いながら、着物生活そのものを楽しんでいたら。仕事を辞めて新しい生活を楽しんでいた母を介して和裁士さんとつながって、その方が教えることもなさっているなんて!
人とのつながりって面白いな、と改めて思いました。偶然は必然なのかしら?
で、ただいま、私たちのお師匠は、自分が直したいものに手を入れながら基本的な和裁をおぼえていくよう教えてくださっています。今までのところ、ウールの普段着物やモスリンの長襦袢の寸法直し、経年劣化で糸が弱った部分のやり直し、解いた着物からの帯の仕立てを同時にすすめています。「ダメ出し」も「根性運針」もなく(笑)、いきなり寸法直し対象の長襦袢にざっくり鋏を入れて、「さ、ここからね。こういうふうに縫っていって。ゆっくりでもいいから、慣れてきたら出来るようになってくるもんです。」とニコニコ。
次回までにやっておくように、と毎回宿題が出ます。全くもってノロノロした針運びで、運針にいたってはヨタヨタの千鳥足(/ω\)ですが、楽しいです。⇒猫の千鳥足、ナンチャッテ( *´艸`)
なぜココはこんな構造になっているのか、どのくらいの縫い代があればどの程度の幅出しができるのか、寸法を直す際に不足する布はどこから持ってくるのか・・など、私が疑問に思うことを、お師匠はひとつひとつ丁寧に答えてくださいます。
と同時に、多くの着物を持っていて、普段もウールや綿などを好きで着ていながら、袖だの身幅だのの寸法が合わないというだけではない何とも言えない違和感・・何が原因なのかわからなかった着心地の悪さの理由が、少しずつわかってきつつあります。
どうやら、着物と長襦袢のそれぞれ、あるいは組み合わせたときの寸法がバラバラだということだけではなく、モノによっては明らかに身に合っていない部分がある・・そのせいで、きちんと着ていても着心地が悪く着崩れも起こすということが判明。もやもやしていた視界がスッキリ晴れ渡ったような気分です。
なかなかすすまない針に自分自身苦笑しながら、構造の説明を聞き、お師匠の手元を凝視してやりくりの技術のほんの一部を垣間見て、昔の人の知恵に感服し、仕事の緻密さに驚き・・。1回4時間はあっという間に過ぎていきます。
寸法が合わない部分や、着るシーンにあわせて、必要なお直しが自分でできるようになると、着物生活はきっと何倍も楽しくなる!そんな予感にワクワク♪
普段着物なら、練習がてら幅出しや袖丈の変更、繰越しの付け替えもできる。
正絹はおいといて・・(^。^)、なぜこうなっているのかという構造を知り、どうすると合理的に無駄なく布を使えるのかという昔の日本の知恵に触れながら針をもつことは、とても楽しいんだと気づいた今日この頃です。
しかしながら、針を持つのも怪しいところからの出発で、毎日チクチクするわけでもなければ、記録がないと教えていただいたことが片端から霞の彼方へ・・ということで、はじめたばかりの和裁についても、備忘録のように、写真付きでぼちぼちとブログに書いていきたいな、と思います。洋裁もほとんど知らない、和裁に使われる言葉の意味がわからん、何に使われている技術かわからん・・という私と同じような方・・がいらっしゃったら、ご覧いただけると嬉しいです(#^.^#)
長い運針では必ず一度は指に針を刺して流血事件を起こすごきげん子猫